☆設立趣旨☆
昨今、よくアイデンティティという言葉を耳にする。大辞泉によれば、「①自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。②本人にまちがいないこと。また、身分証明。」とある。翻って、日本、もしくは日本人...とはどういうことで、それはどういう存在なのか。日本、もしくは日本人であることを一貫して貫き、その主体性を主張できるもの(アイデンティティ)とはどういうものなのか。その中で誇るべきものとは何だろうか。
3.11(東日本大震災)は、その規模と被害の甚大さ、同時に進行した福島原発-放射能汚染の深刻さにおいて世界を震撼させた。そしてその大震災被害への「日本」の対応は世界の注目を浴びた。日本人並びに日本の社会の沈着冷静な対応、東北・福島のあきらめない心の強さや忍耐強さ、さらに救助活動や復興支援のボランティア、その連帯性・協調性、いわゆる深く強い絆の拡がりは「美談」として全世界に発信された。それは「日本」の誇りである。
しかし、一方で、憂うべき事態も発生している。ネット社会の加速度的進行とその弊害、「失われた20年」と称される経済的不安、それにともなう社会的構造や労働構造のいびつさや不安定さ、価値観の揺らぎや無力感は全社会的に広がりつつある。また、昨今、地方の疲弊、大家族制の崩壊-核家族化の進行と相まって、本来引き継がれるべき何か大事なことの世代間における断絶や消失が表出している。そして、年功者への礼節や敬愛心、相互扶助と感謝の心の著しい欠如を杞憂といえない事例が頻発している。
なぜそうなっているのか。
我々の生きている現在は過去に規定されており、その過去に築きあげられてきた祖先の営々たる営みによって成立している。にもかかわらず、その結晶である伝統や思想、制度、政治的・社会的構築、謂うところの「歴史」が正しく伝承されずに、日本もしくは日本人のアイデンティティが意識されていない、もしくは希薄または形式に堕しているからではないかということである。
そこで意識を深める一歩として、まず我々のルーツ、つまり自らが生き、自らを自らたらしめている「我々の歴史」を考えてみたいと思う。それは、我々がこれからどう生きるべきか、そして、我々が、我々の祖先の辛苦と知恵と英知、汗と涙の労苦、さらには流血によって存在しているように、我々もまた後世に何を残すべきかについて真摯に考える必要がある。
こぞって多くの諸氏の理解と賛同と協賛を求めるものである。
『我が国の歴史を考える会』